藤本青果
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(Vol.019)

『映画づくり』は『人づくり』。
「人」が存在する映画づくりを実践する映画監督・プロデューサー:飯塚敏明さん

日本映画界の雄・奥山和由プロデューサーと共に、異色のドキュメンタリー映画
『東京ソーダ水』(2007年今冬公開)を作り上げた、映画作家・飯塚敏明氏のインタビューに成功!
…って編集部の手柄みたいに言ってみたけど、実は、ウチの編集長が『東京ソーダ水』の製作に関わっているという情報をキャッチして、 「ひとつ監督に取材をぉぉ」と、しつこく拝み倒して実現したインタビューなのだ。
とっても熱く語ってくださった飯塚氏のお話を、ノーカットでお届けします!

Q:『東京ソーダ水』は、劇場用商業映画としては初の監督作品だったそうですね。

飯塚氏● はい。私は元々はVシネマやインディペンデントで劇映画を監督したり、舞台の演出などを手掛けてきました。
今回、ドキュメンタリー映画『東京ソーダ水』の企画を、他の劇映画企画とともに営業していたところ、運良く奥山プロデューサーに目を掛けていただき、作品の製作にこぎつけたのです。

Q:奥山プロデューサーというと、かつては北野武監督や竹中直人監督など、多くの新人監督を世に出されてきた方ですよね?

飯塚氏● そうですね。奥山さんは持ち込み企画の映画化をしたことはないとおっしゃっていましたので、この企画に目を付けていただいたのは、とても幸運でした。何か運命的なものを感じています。

Q:というと、奥山プロデューサーと面識はなかったのですか?

飯塚氏● はい。今回の作品は、毎日コミュニケーションズさんをはじめ、多くの企業様に協賛いただきました。
奥山プロデューサーには、伝説のフォークシンガー・山崎ハコさんをご紹介していただき、この映画のテーマ音楽を担当して頂いています。
スタッフのほとんどと、今回初めて仕事をさせていただいたのですが、とても初めてとは思えないほどの縁を感じています。人のつながりにとても感謝しています。劇映画を目標としてきた自分が、まさかドキュメンタリーで劇場デビューするとは、思ってもみませんでした。

Q:うちのボスもエクゼクティブプロデューサーとして参加していますが、どういう縁なのでしょうか?

飯塚氏● 5、6年位前に、吉田プロデューサーが東京テアトルでIT事業担当顧問をしていて、「シネトレ(シネマトレジャー)」というエンタメサイトを立ち上げた時に、個人的にお付き合いがありました。
それに、ユナイテッドシネマさんのCG&アニメーションのネット関連や、企業コーディネイトを3回も手がけていて、ソニーさんやインデックスさん、フォックス20世紀さんとクレジットを並べる実績もあり、又、オーダームービー・ドットコムというプロダクトプレイスメントを中心とする映像製作も手がけてましたので、吉田プロデューサーには、出資及びネット関連や企業コーディネイト、音楽、音響などで、是非参加していただきたいと思い相談したところ、快く引き受けてくださいました。
渋谷・表参道で人気フリーペーパーOMOSAN STREET2号(8月4日発行)に、表3面に全面プロモーション掲載できたのも、吉田プロデューサーのおかげです。

Q:この映画は、8人の女性を8人のユニット監督が撮影して、それを飯塚監督がまとめあげるという、変わった形の作り方をしていますね?

飯塚氏● ドキュメンタリーというと、編集やナレーションによって、如何な形でも「事実」を作り上げることができます。そういうドキュメンタリーの「嘘」や「意図」が大嫌いで、なるべくそうさせないようにしようと思ったのですね。劇映画もそうですけど、ドキュメンタリーに関しても、観ている人たちが、意図的に作り上げられた「ドラマ」にどうして納得して感動してしまうのか、とても不思議な感覚を持っています。こんな作り物の映像を見せられて、騙されて生きているなんて、本当にそれでいいのか?もちろん事実の映画も多いですけど。私が劇映画を作ってきて、どうしても納得のいくものが作れないという理由が、こういうところにありました。いくらでもお客を泣かすことも脅かすこともできる。でも何だかそれは人を騙すような気がして、納得いかなかったんです。だから今までやってきた劇映画を離れて、ドキュメンタリーという畑で、しかも自分が撮るのではない、人が撮ったものを俯瞰して見てみることで、全く新しい世界観を見つめられるのではないかと思ったわけです。なるべく「映画を作ろう」とせずに「映画が作られる」過程を見ようとしたわけです。まったく普通の女の子8人を、何が起ころうが起こるまいが、1ヶ月という限定された時間の中で撮る。そこで浮かび上がってきた姿が、現代の「日本」のリアルな姿ではないか。ありのままの「自分」や「日本」を見つめることによって、私達の生き方そのものをもう一度冷静に見てみようという試みの映画です。

Q:この映画で答えは出ましたか?

飯塚氏● 答えが分かったと言うのは、よほどの天才かよほどの凡人かどちらかでしょう。答えというより、問題がたくさん見えてきました。映画を作る側にも、また観る側にも。
しかし、今後私が劇映画を作っていく上で、ものすごくたくさんのヒントをもらい、勉強をさせていただきました。そういう意味では、とても記念碑的な作品になったと思います。今後の映画で少しずつ解決していければと思っています。

Q:話はだいぶ変わりますが、映画を志すきっかけはなんだったんですか?

飯塚氏● 父の影響が強かったかもしれません。父は英国文学を専攻した高校教師で、コナン・ドイルやシェークスピアの本がたくさんあったのを覚えています。また父は映画好きで、やはりイギリス系の、チャップリン、ヒッチコック、007の映画はかなり幼い時から観ている記憶があります。それに黒澤明ですね。
また、母方の伯父が青森で、児童文学や民話をモチーフにした小説などを書いてまして、この伯父の書いた絵本にも影響されています。
映画以外にも漫画が好きで、手塚治虫や藤子不二雄(後の藤子・F・不二雄)は良く見ていて、小さい頃は漫画家になりたいと思っていました。
アクション映画も大好きで、ブルース・リー、ジャッキー・チェン、シルベスター・スタローン、リー・リンチェイ(ジェット・リー)に憧れまして、実家近くで中国武術や空手の道場をやっていた著名な師匠の元に弟子入りしたりしました。将来アクションスターになろうと思ったのが中学一年くらいの頃ですかね。

Q:いろんなことに興味を持っていたのですね?

飯塚氏● そうですね。SF映画も好きで、『スターウォーズ』以前の、コマ撮りの特撮モノなんかも好きでした。友達と、コマ撮りアニメもどきみたいなものも、作っていました。それに、パソコンをまだマイコンと呼んでいる時代に、『スタートレック』の宇宙船のアニメーションを、ワイヤーフレームで作っていたりもしました。
映像をはじめ、何よりも創作することが面白かったんですね。中学では科学部だったのですが、部活の仲間とTV番組のパロディを作ったり、演劇部の芝居の協力をしたり、武術をやったりと、やりたいことは何でもやりました。
何でもこなすんですが、反対に言うと器用貧乏で、ものすごく得意な分野とか、やりたい分野というものが定まりませんでした。
だから、映画の監督、しかもプロデューサー兼任の「映画作家」が、自分の天職だと思ってます。映画屋だったら、何でも出来る。今でもいろいろやりたいことが次々と出てきて、きりがないんです。

Q:実際に映画界に入るきっかけは?

飯塚氏● 大学時代に東京へ来て、いろいろな劇団やインディペンデント映画に参加しました。今、著名になっている監督が何人もいます。まだ若造でしたが、自分の映画の企画を、映画会社に持ち込んでいたりしました。
今でこそ映画プロデューサーというのは、専門学校や大学でコースが作られていますが、当時プロデューサーを目指すなんて、だいぶ珍しかったものと思います。
広告代理店でアルバイトを始めたのも、ある種の幸運でした。「ただ自分の作りたい映画を作る」のではなくて、「お客さんが何を望んでいるのか」という、マーケティング的な視点で物事を見る勉強をさせていただきました。
代理店で数年働いた後、社長のバックアップで自分の制作会社を作りました。コンピュータのソフト開発と映像制作という二足の草鞋の会社です。
そこで商業映画の企画を何本か立ち上げましたが、なかなかうまく行きませんでした。生活をしていくためにVシネマを撮ったり、アイドルのイメージビデオや企業VPなど、だいぶ撮りました。

Q:映画会社には入らなかったのですか?

飯塚氏● 今の日本映画界の構造に疑問を持っていたのです。
製作会社、配給会社、出資の企業、いろいろな構造的な問題があります。
そこで「ホンモノ」の映画を作ることは出来るのか?いつも「ホンモノ」とは何かということを考えていました。技術的に高いということだけではないのです。
何か「人の魂」の感じられる作品が作れない。映像でも芝居でも。いつもそういう苛立ちを持っていました。私の映画作りの理想というのは、黒澤明の全盛時代の黒澤組と、スタジオジブリの制作体制です。
つまりどちらも「人」を大事にするんですね。全てのスタッフや俳優が「ホンモノ」で、一つになった時に、素晴らしい作品を作ることが出来る。これが私の持論です。
しかし、そういうのがメジャーの業界でも、インディーズでも出来なくなった。ほとんどがカネありきです。確かにお金がなければ何にも出来ないのですが、でも私はヒトだと思った。それは黒澤もジブリも同じことを言っている。しかし、その「ヒト」が、どこへ行ってもいなかった。
単に私自身に縁がなかったのかもしれません。でも人の様相がバブル以降、目に見るように変わって行った。詐欺師の会社に騙されて地獄の底へ突き落とされたこともありました。でも何とか自分の力で「新しいかたち」を作り上げようと、理想を信じて頑張ってきました。誰も信じてくれなかったこともあります。
しかし、ついに奥山プロデューサーを初めとして、いろいろな人々とつながり始めた。自分がやってきたことは嘘ではなかったと確信しました。
それがこの『東京ソーダ水』です。本当の意味で、私の映画人生の始まりはここからだと思っています。

Q:今後どのような活動を目標にしていきますか?

飯塚氏● これからは、念願の劇映画に取り組んでいきたいと思っています。最近は偶然とは思えないほど、素晴らしい人々との出会いが、立て続けに起こっています。ようやく自分の作りたい映画に、自分の使いたい俳優で、取り組んでいけそうな気がしています。
現在、ネット上でマンガ・映像のシリーズを展開しているSF作品の劇場用映画を、次の監督作にしようと思っています。また、ハードボイルド系のネットドラマシリーズ、アイドル主演のDVDドラマ企画など、私がプロデューサーとして作る作品も何本か進めています。
基本的には「大衆娯楽映画」の路線を行きます。今回の『東京ソーダ水』とはだいぶ違いますが。しかし、いずれの作品でも「人としていかに生きるか」を、共通のテーマとして作っていきたいと思っています。私の目標は『映画づくり』ではなく『人づくり』です。『映画づくり』は『人づくり』そのものです。
日本人を良い方向に変えていくために、少しでも力になれるよう、映画を媒介にして頑張っていきたいと思っています。

Q:最後にうちのボスは、いま何処に…?ここ最近いないんですけど…。

飯塚氏● 今しばらくお借りしてます。(笑)

本日は、お忙しいところありがとうございました。

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